「正しい競争」とはどのようなものでしょうか?不当な利益を得る談合は、競争入札における典型的な不正事件です。しかし談合は、安定した受注と、過度な価格競争を防ぐために「必要悪」といわれてます。競争原理がもたらす弊害や格差社会についての解説です。
競争入札と談合
官公庁の競争入札の中で、不正事件として問題になるのが談合です。しかし談合は、安定した受注を確保するため、また過度な競争を避けるために「必要悪」といわれることもあります。競争入札では、誰が落札するかわからず、受注が不安定になり、価格競争で正当な利益が削られてしまうからです。実際に地方自治体の競争入札では、地元の企業が受注できず、全国規模の大手企業に契約を奪われてしまう状況もあります。
入札に参加しようとする会社は、自社の利益を確保するために少しでも高い金額で入札しようとします。しかし入札に参加しようとする会社の中には、利益を度外視した、無理な入札を行うこともあります。官公庁との契約実績作り、あるいは広告・宣伝目的で、赤字覚悟で入札します。官公庁と契約することで社会的な信頼を得ようとします。契約を獲得するために正当な利益を削り安い金額で入札することがあるのです。
また悪質な手法として、ライバル企業を倒産させるために安く入札することもあります。原価よりも安い入札は不当廉売になり、独占禁止法違反です。公正な競争を阻害し、市場経済の健全な発展を阻む違法な行為です。
一方、「必要悪」といわれる談合の目的は、大きく分けて2つあります。
1つ目は、競争を避け、受注を確保することです。談合は、競争を避け、事前に受注者を決めてしまう行為です。そのため、談合に参加した企業は、競争に勝つための努力をする必要がなく、確実に受注を獲得することができます。
2つ目は、価格を維持することです。談合によって受注者を決めることで、価格競争を避けることができます。そのため、談合に参加した企業は、価格を維持し、利益を上げることができます。
談合は、公共事業の入札において、特に問題視されています。公共事業は、税金によって賄われているため、談合によって価格が高騰すれば、税金の無駄遣いとなります。また、談合によって公共事業の品質が低下する可能性もあります。
談合は、独占禁止法で禁止されています。違反した場合は、課徴金の支払いや、役員の解任などの処分を受ける可能性があります。
競争社会と国民の幸せ
どんどん安い金額で競争し、その結果として利益をなくし、小さな会社は倒産し大企業だけが生き残る世界は正常といえるでしょうか?競争社会は、弱肉強食が当たり前という風潮は、社会全体を不幸へと導きます。無理な価格競争によって、お互いに足を引っ張り体力を消耗し、挙げ句の果てに倒産してしまいます。
健全な経済の発展に資する正しい競争とは、利益を最少限にすることではなく、適正な利益を確保した正常な価格で競争することです。一般競争入札による過度な競争を許さない、公正な考え方が必要です。
自分の利益だけを優先させ、「安ければ良い」という卑しい考え方を官公庁は持つべきではありません。歪んだ価格競争は、公正さを失わせ、市場を混乱させて社会の発展を阻害します。
また、1993年のバブル崩壊以降、「格差社会」という言葉が使われるようになりました。バブル期には、株価や地価の高騰で資産を持っている人と持たない人の格差が生じています。また、バブル崩壊後の不況下では、企業のコスト削減のために非正規雇用が増え、正規社員と非正規社員の格差も拡大しました。
2000年以降は、格差社会の問題が社会問題化しました。具体的には、構造改革、不良債権処理、派遣労働法の改正などで非正規雇用が増え、格差が広がりました。また、2010年以降には、少子高齢化や、AIやIoTなどの技術革新による雇用の流動化なども、格差拡大の一因として指摘されています。
このように、日本ではバブル崩壊以降、格差社会が徐々に進行してきたと考えられます。
過度な競争意識と、格差社会、大学を卒業した人が普通に就職もできない、このような社会は幸せなのでしょうか?
「幸せの国」といわれるブータンでも、近年はグローバル化の影響で、経済的な競争も激化しています。その影響で、伝統的な価値観(利他心と慈悲心、自然との調和、伝統文化の継承)が失われつつあることが、ブータンの幸福度低下の一因と考えられています。
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