「1社入札」を問題視する報道があります。なぜ1社入札が問題になるのか、本当に問題なのか、実務経験者の視点から解説します。1社入札を批判する考え方は、悪徳警官が「泥棒しないなら逮捕するぞ」と言っているのと同じです。一般競争入札の目的や本質を理解しましょう。
1社入札を問題視するマスコミ報道
2014年頃から、官公庁が実施した入札結果を見て、「1社入札」を批判する報道が多くなりました。「1社入札」は、1社応札や1社応募などとも呼ばれています。いずれも競争入札に参加する企業が1社だった状態を意味します。
批判的な意見の多くは、「1社入札という状態は、実質的な価格競争が行われていないので、入札という競争制度が形骸化している」というものです。「競争が行われていない」、「形骸化している」という言葉は、一般の人から見れば、それだけで不正をイメージさせるキーワードです。しかし契約実務経験者の視点からすれば、実務を経験したことのない、競争入札の本質を理解していない人たちが好んで使うフレーズでもあります。
マスコミや会計検査院などは、公的組織の契約手続きが批判されれば、自分たちの出番になり存在意義が高まるのかもしれません。しかし本質を理解していない批判は、かなり問題です。
一般競争入札の目的
会計法令で定めている一般競争入札の目的は、入札公告による公開手続きを経て、誰もが公平に参加できる競争の機会を確保することです。これは次のように会計法令で不落随意契約(不落随契)を認めていることからも明らかなことです。
予算決算及び会計令
第九十九条の二 契約担当官等は、競争に付しても入札者がないとき、又は再度の入札をしても落札者がないときは、随意契約によることができる。
予決令第九十九条の二は、競争入札を実施した結果、入札者がいないとき、あるいは予定価格を超えてしまい、落札者がないときは、業務効率化の観点から随意契約によることを認めています。つまり最初に、誰でもが参加できる「競争の機会」を確保した結果であれば、随意契約できるのです。この条文は、実際に価格競争が行われなくても随意契約を認めているのです。極端な言い方をすれば、「1社入札」の根拠法令です。
もし、「1社入札は問題がある」という批判が正しければ、この条文自体が存在しないはずです。さらにこの条文では、入札者がいない場合でさえ、再度公告入札を義務付けていません。入札者がいなくても、入札手続き自体を無効と判断するのではなく、そのまま手続きを進めて、随意契約を締結することを認めているのです。これは、競争入札手続きの煩雑さを考慮し、入札手続きのやり直しによる弊害を防ぐことを目的にしています。入札をやり直せば、2ヵ月近く無駄な期間を過ごすことになります。「1社入札」を批判すれば、契約手続きが遅れ、業務が停滞するのです。
入札結果だけを見て、「入札が形骸化している」という短絡的な判断をすべきではありません。「競争の機会」が十分に確保された手続きだったのか、が重要なのです。
競争の機会を確保する
官公庁が実施する入札制度の大きな目的は、競争の機会を確保することです。金額については、その次です。むしろ官公庁では「安ければ良い」という考えの方が危険です。不当廉売や無理な値引を押し付けるなどの弊害が発生します。国民の税金で質の悪いサービスを行う方が問題です。
最初から競争を排除した随意契約ではなく、入札公告を公開することで、契約を希望する誰もが参加できる機会を確保していることが最も重要なのです。
一般競争入札を実施した結果、仕様書を履行できる入札者が1社しかないとしても、それは結果論です。誰でも参加できる機会を確保した入札公告を、十分な期間公開しているのであれば、適正な契約手続きなのです。
「十分な期間」とは、入札公告を見て、入札に参加するための検討を行うことのできる期間を意味します。資料作成や入札金額を積算するためには最低でも2週間以上必要です。2週間以上の公告期間で実施した一般競争入札であれば、「1社入札」は問題ありません。
1社入札の原因
1社入札の原因として、いつも指摘されるのは、「仕様書の条件が厳しく他社が参入できない」、「仕様書が特定の企業のためだけに作られている」という点です。しかしこの指摘は、競争性を確保した仕様書に基づく入札であれば、「競争社会を否定する危険な考え方」です。健全な競争社会では、価格競争だけでなく、技術力も競争に含まれます。仕様書の条件が厳しければ、その厳しい条件で入札へ参加できるよう努力する必要があります。
「仕様書が厳しくて対応できない」ということは、その時点で技術競争に負けているのです。(逆に言えば、官公庁の契約担当者は多数の企業が参加できる仕様書を作成すべきです。契約に必要な条件は最少にすべきですし、特定の企業のみが参加できる仕様を作成してはいけません。意図的に特定の会社しか参加できない仕様書を作成するのは、官製談合と同じです。)
ただし例外もあります。特殊な研究用設備のケースです。数年前の民主党政権時代に実施された事業仕分けで、スーパーコンピュータの議論が話題になりました。「どうして世界1位じゃないと駄目なんでしょうか、2位では駄目なのでしょうか?」という事業仕分けがありました。
科学研究の分野は、世界中で1分1秒を争っています。特に理系の研究では、研究成果が特許に結びつくことも多いです。世界で1位を目指すことこそが、日本の科学技術の発展につながります。そして研究を発展させることで、教育の水準も高くなるのです。
当然ながら最先端の研究を進めるためには、世界最高の性能を持つ機器が必要です。例えば、世界1位のスーパーコンピュータでデータを解析すれば、1ヵ月で研究成果を得られるのに、世界2位のスーパーコンピュータを使うと1年かかるとしたらどうでしょうか?スーパーコンピュータは、あらゆる研究の基盤的な設備です。仕様書の条件も必然的に厳しくなります。高度な研究用設備の競争入札では、1社入札が多くなるのです。
必要最少限の仕様書で支障のない公共工事などの分野と、世界最先端の科学技術を目指す研究分野を一緒にして、1社入札を問題視すべきではありません。
もし、すべての契約で1社入札を問題視するなら、(おおげさに聞こえるかもしれませんが)日本の科学技術が衰退します。次第に教育の質が低下し、やがて日本経済の景気が後退します。日本社会そのものが成長しなくなります。スーパーコンピュータの開発をやめれば、日本は世界から取り残されるでしょう。
もちろん官公庁の契約担当者の姿勢としては、多数の会社が入札へ参加できるように仕様書を作成すべきです。これは当然のことです。ただ、何が重要なのか、契約内容によって判断しなければなりません。
1社入札を問題視すると官製談合へ
もし「1社入札」を認めずに、「一般競争入札を実施するときは2社以上」を絶対条件にしてしまうと、官製談合という犯罪を誘発することになります。見えないところで不正が「はびこる」のです。
官公庁の職員は、定員削減によって年々減らされています。毎年のように仕事が増えている契約担当者は、「競争入札をやり直す」など考えたくもないでしょう。なんとしても競争入札を無事に終わらせるため、2社以上の競争入札を形式的に実施します。競争入札に参加する意思のない会社に対して、「見せかけ」として参加するよう依頼(強制)するようになるでしょう。
「競争が形骸化している」という批判を避けるために、「見せかけの競争」を行うことになります。違法な行為に頼ってしまうのです。落札する意思のない会社は、競争を取り繕うために、本命の会社と価格調整し、高い金額で入札することになります。
完全に官製談合に陥ります。
1社入札を問題視する考え方は、悪徳警官が善良な市民に対して、「泥棒しないなら逮捕するぞ」と言っているようなものなのです。
コメント
全くの第三者として疑問があります。談合が行われていないということは、入札案件に対して、誰が応札するのかそれぞれの業者は全く分からないということです。
1者しか応募がないということは、そもそも人気がなくほとんどの業者が見向きもしないのに、それをしたいと考える業者が運よく1者いたということになります。
そもそも、このような人気のない入札では、1者応札とともに、「応札なし」であったり「2者応札」になったというものも、確率的には、数多く出現するはずだと思われます。
しかし、現実には1者応札があまりに多く確率論から逸脱することから、実は、他の業者がどこに応札するのか調整が行われていて談合が相変わらず行われているのではないかとの疑いが出てきます。
他の業者の動向が分からない中、なぜ「1者応札」が突出し、「応札なし」が極端に少ないのか、その理由は何でしょうか。
コメントありがとうございます。
「一社入札」が、「入札なし」や「二社入札」に比較して圧倒的に多い理由は、入札前に特定の専門会社から「参考見積書」を取り寄せるからです。
工事契約など、予定価格の積算基準が細かく決められている場合には、官公庁側で独自に仕様書や予定価格を作成できるので、参考見積書を取り寄せないことが多いです。しかし、工事契約以外の物品購入契約や、物品製造契約、役務契約では、専門会社が作成する参考見積書を取り寄せないと、仕様書の作成や、およその契約金額が把握できません。
特に、概算の契約金額がわからなければ、入札にするのか、少額随意契約にするのか、契約方式の判断さえもできません。
そのため、通常、入札対象金額になりそうな契約手続きを進めるときには、最初に参考見積書を取り寄せます。そして参考見積書の内容と金額を基にして、仕様書を作成し、予定価格を作成し、入札手続きを進めます。
つまり、入札前に参考見積書を提出した専門会社は、当然のことながら、(参考見積書の金額なら契約できます、と意思表示しているので)入札に参加します。
このような理由から、大きな契約や、複雑な契約では、「一社入札」が突出して多くなります。
入札前に取り寄せる参考見積書自体を1社のみとするなら、「官製談合」や「癒着」と同じ構図ではないか、と思うかもしれませんが、それは全く違います。
参考見積書を基にして、競争が可能になるよう、複数の会社が入札へ参加できるよう、仕様書を官公庁側が作成します。そして入札公告を十分な期間(最低でも2週間以上)公開し、広く競争参加者を募って入札します。
もし、入札公告期間を2~3日にして、参考見積書を提出した会社だけが、入札公告を把握できるような入札であれば、「官製談合」や「癒着」と同じで違法でしょう。しかし入札公告期間を十分に長くしてあれば、(例えば2週間公開していれば)この時点で競争の機会を十分に確保しています。入札へ参加しようと思えば、誰でもが参加できる状況にすることが重要です。
むしろ、参考見積書を取り寄せる段階から複数の専門会社へ依頼してしまうと、特殊な契約などでは、全く異なる契約内容を提案されてしまい、仕様書の作成が不可能になってしまいます。そうなると契約手続き自体を進められなくなります。全く異なる参考見積書からは仕様書を作れなくなってしまうのです。
さらに、参考見積書を複数の会社から取り寄せることを義務付けてしまえば、官製談合が蔓延することになってしまうでしょう。
契約実務担当者から見れば、異なる契約内容の参考見積書を受け取ったら困るわけです。仕様書が作れなくなってしまいます。そうなる事態を防ごうと、無理やり契約内容を同じにするために、参考見積書を取り寄せる段階から、特定の専門会社に対して他社の参考見積書を一緒に提出するよう依頼するようになるでしょう。つまり、正式な入札前から「官製談合」と「癒着」が始まってしまうわけです。
ときどきテレビなどで報道されていますが、現実の契約手続きを無視するような指摘は、新たな不正を生み出すだけです。実務を知らない学識経験者たちの指摘を聞くたびに残念に思ってしまいます。