日々の業務、本当にお疲れ様です。研究者から次々と持ち込まれる外部資金の受け入れ手続きや、複雑な契約書の確認に追われている会計実務担当者の方も多いことでしょう。特に近年は、運営費交付金の削減に伴い、外部資金獲得のプレッシャーが大学全体にのしかかっています。「とにかく資金を持ってくればいい」という空気感の中で、契約内容に違和感を覚えることはないでしょうか。
本来、国立大学における産学連携とは、どのような姿であるべきなのでしょうか。単なる資金集めの手段になり下がってはいないでしょうか。公的機関としての「公平性」や「社会還元」という視点が、置き去りにされているように感じることがあります。
この記事では、現在の産学連携が抱える構造的な歪みと、本来あるべき「正しい産学連携」の姿について、その歴史的背景や会計法令の精神に立ち返って解説します。日々の事務処理の背後にある「制度の本質」を知ることで、実務における判断の軸をより強固なものにしていただければ幸いです。
国立大学を取り巻く厳しい財政事情と産学連携への期待
多くの国立大学において、産学連携の重要性が叫ばれて久しいですが、その背景には切実な財政事情があります。2004(平成16)年の国立大学法人化以降、国から交付される運営費交付金は減少傾向にあり、大学は自ら資金を稼がなければならない状況に置かれています。
かつてのように、国からの予算だけで研究室の運営が賄えていた時代は終わりました。現在では、競争的資金を獲得できなければ、満足に研究を進めることすらままなりません。研究者(教授、准教授などの教育職を含みます。)は、本来の研究活動に割くべき時間を削り、申請書の作成や企業への営業活動に奔走しています。
このような状況下で、産学連携は「大学の生き残り戦略」として位置づけられるようになりました。外部資金を獲得することは、大学経営にとって生命線であり、事務組織もそのためのサポート体制強化を余儀なくされています。しかし、ここで一度立ち止まって考える必要があります。「資金を獲得すること」自体が、産学連携の目的になってしまってはいないでしょうか。手段と目的が逆転してしまった結果、国立大学としての本来の役割が見失われているのではないかという懸念が生じています。
産学連携制度の原点であるバイ・ドール法とは
そもそも、現在の日本の産学連携制度は、どのような経緯で始まったのでしょうか。そのモデルとなったのは、アメリカで1980(昭和55)年に制定された「バイ・ドール法」です。
アメリカ経済を再生させた起爆剤
1970年代のアメリカは、長引く不況にあえいでいました。国際競争力の低下に悩み、経済の活性化が喫緊の課題となっていたのです。そこで注目されたのが、大学の研究成果でした。当時、政府の資金で行われた研究の成果(特許など)は、すべて国に帰属していました。しかし、国が特許を持っていても、それを製品化してビジネスにつなげる能力はありません。その結果、膨大な数の特許が「死蔵」されていたのです。
この状況を打破するために制定されたのがバイ・ドール法です。この法律は、政府資金による研究であっても、その成果である特許権を大学や研究機関に帰属させることを認めました。大学が特許を持つことで、企業へのライセンス供与が容易になり、技術移転が加速すると考えたのです。
この政策は劇的な効果をもたらしました。大学発のベンチャー企業が次々と誕生し、新しい産業が興り、アメリカ経済は復活を遂げました。大学の研究成果という知的財産が社会に還元され、経済成長のエンジンとなったのです。シリコンバレーが有名ですね。
日本版バイ・ドール法の導入と誤算
日本もこの成功例にならい、長い不況からの脱却を目指して産学連携制度の整備を急ぎました。1999(平成11)年に施行された「産業活力再生特別措置法」にいわゆる日本版バイ・ドール条項が盛り込まれ、その後「産業技術力強化法」へと引き継がれています。
制度導入当初、日本でもアメリカのようなバラ色の未来が描かれていました。大学の研究室から次々と画期的な発明が生まれ、それが企業によって商品化され、大学には多額のロイヤリティ(特許料収入)が入ってくるというシナリオです。「良い研究であれば、必ず社会の役に立ち、売れるはずだ」という楽観的な予測がありました。
しかし、現実はそう甘くはありませんでした。研究成果として特許を取得できたとしても、それが実際に商品化され、市場で利益を生むまでには、「死の谷」と呼ばれる長く険しい道のりがあります。商品開発には膨大な時間とコストがかかり、さらにそれが市場で爆発的に売れるという幸運も必要です。
日本の多くの大学は、「特許は取れるが金にはならない」という現実に直面しました。特許の維持管理費ばかりがかさみ、期待したロイヤリティ収入は微々たるものにとどまるケースが相次ぎました。「良い研究が必ずしも売れるとは限らない」という厳しい現実を、日本の産学連携は思い知ることになったのです。
資金獲得手段へと変質した現在の産学連携
本来期待された「特許ライセンス収入による自立」が困難であるとわかったとき、多くの国立大学は方針の転換を余儀なくされました。発明によるロイヤリティ収入を諦め、より手っ取り早い「資金調達」へと舵を切ったのです。それが、企業からの直接的な資金提供に依存する現在のスタイルです。
寄附講座と社会連携講座の実態
その典型的な例が、「寄附講座」や「社会連携講座」です。これらは、資金力のある大手企業からまとまった研究費や人件費の提供を受け、大学内に特定の研究組織を設置する仕組みです。
大学側にとっては、確実に研究資金とポスト(研究者の配置)を確保できるというメリットがあります。一方、企業側にとっても、国立大学という権威ある組織と連携することで、自社の技術や商品の信頼性を高めることができるという大きなメリットがあります。いわゆる「Win-Win」の関係です。
しかし、この構造には大きな落とし穴があります。本来、産学連携とは「研究成果の社会還元」であったはずが、「特定の企業との癒着」に近い形に変質してしまっているのです。企業がお金を出すのは、純粋な学術振興のためだけではありません。当然、自社のビジネスに有利になるような結果や、宣伝効果を期待しています。
「おもねる」研究への懸念
資金を提供してくれる企業におもねるあまり、研究の方向性が歪められてしまう危険性があります。企業のご機嫌を伺い、その企業が喜ぶようなデータを出そうとする意識が働けば、それはもはや公平な研究とは言えません。
「国立大学との共同研究」という事実は、企業にとって強力な宣伝材料になります。商品のパンフレットやウェブサイトに「〇〇大学との共同研究により開発」と記載されれば、消費者はその商品を無条件に信頼してしまうでしょう。大学の名前が、一企業の販売促進ツールとして利用されている現状があります。
公的組織としての公平性と会計法令の精神
ここで、会計実務担当者として立ち返るべきは、「国立大学は誰のものか」という根本的な問いです。国立大学は、国民の税金によって支えられている公的組織です。運営費交付金の割合が減ったとはいえ、依然として莫大な国費が投入されています。
特定企業の「宣伝塔」になることの是非
税金で運営されている組織が、特定の民間企業を特別扱いし、その利益拡大に加担することは許されるのでしょうか。特定の企業の宣伝塔のような役割を果たすことは、公的機関としての「公平性」を著しく損なう行為です。
会計法令や公務員倫理の観点からも、これは非常に危うい状態です。会計実務においては、単に数字が合っているか、支出の手続きが正しいかという形式的なチェックだけでなく、その支出や契約が「公的資金の使途として適切か」「国民に対して説明責任を果たせるか」という実質的な正当性が問われます。(倫理的な側面です。)
特定の企業から資金をもらっているからといって、その企業を優遇することは、実質的な利益供与にあたる可能性があります。国立大学が特定の企業の下請け機関のようになり、その企業の利益のために研究能力を提供することは、制度本来の趣旨から逸脱しています。
利益相反リスクの管理
また、こうした特定の企業との深い結びつきは、「利益相反」の問題を深刻化させます。研究者が個人的にその企業と関わりを持ったり、研究費のために企業の意向を過度に汲んだりすることは、研究の客観性と中立性を害します。
大学が「資金集め」を優先するあまり、利益相反のリスク管理が甘くなれば、いずれ大きな不祥事につながりかねません。それは大学の社会的信用を失墜させるだけでなく、真面目に研究に取り組んでいる他の研究者たちの努力をも無にしてしまうことになります。
本来あるべき「正しい産学連携」の姿とは
では、国立大学における「正しい産学連携」とは、どのようなものであるべきなのでしょうか。それは、原点であるバイ・ドール法の理念に立ち返ることです。
知的財産の創出と社会全体への還元
正しい産学連携の目的は、大学が生み出した知(研究成果)を、特定の企業だけでなく、社会全体で広く利用できるようにすることです。
大学での研究成果を特許などの知的財産として適切に保護し、それを希望する多くの企業にライセンス供与を行う。そして、それぞれの企業がその技術を用いて、社会に役立つ製品やサービスを開発する。その結果として、大学は正当な対価(ロイヤリティ)を得る。これが、本来あるべき健全なサイクルです。
このプロセスにおいて、大学は特定の企業と癒着することなく、中立的な立場を保つことができます。特定の一社を儲けさせるのではなく、技術を広く公開・移転することで、産業界全体の底上げに貢献することが、国立大学の使命です。
「結果としての利益」を目指す
資金が先にあるのではなく、研究成果という「価値」が先にあり、その対価として資金が得られるべきです。「最初から特定の企業を宣伝して利益を得ようとする」姿勢は、本末転倒と言わざるを得ません。
もちろん、基礎研究から応用研究への橋渡しにおいて、特定の企業との共同研究が必要な場面はあります。しかし、その場合でも、成果の帰属や公表のルールを厳格に定め、大学の知が不当に独占されないような契約実務が求められます。
私たち会計実務担当者は、契約書の一言一句を確認する際、常にこの「公平性」の観点を持つ必要があります。「この契約は特定の企業を過度に優遇していないか」「大学の知的財産が特定の企業に利用されていないか」という視点を持つことが、国立大学のガバナンスを守る最後の砦となるのです。
目先の資金繰りに追われる中で、理想論ばかりを語ることは難しいかもしれません。しかし、制度の歪みに気づき、是正しようとする意識を現場の職員が持ち続けることが、長い目で見て大学の健全な発展、ひいては日本の科学技術の発展につながるはずです。法令遵守とは、単に条文を守ることだけでなく、その背景にある「公の精神」を守ることでもあるのです。

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