新人のときは不安ばかりです。仕事を早く覚えたいし、職場の人たちと楽しく会話したいのです。昔と今では新人教育の方法が変わりましたが、共通している部分もあります。ハラスメントという言葉もない1979年頃、私が先輩たちから教わったことです。
新人時代に教わったこと
最初に、新人のときに意識したいことは自分を追い込まないことです。組織に尽くす、先輩や上司へ尽くす、などと自分を犠牲にするように意識してしまうと、精神的に辛くなってしまいます。新人のときは、自分のために努力するという考えの方が精神的に楽です。常に、自分を成長させるために行うと考えるのです。その方が結果的に上手くいきます。
2020年7月以降、仕事が覚えられない、仕事がわからない、という検索キーワードで訪れる人が増えてきました。おそらく、新型コロナウイルスによる在宅勤務の影響が大きいと思います。
新型コロナウイルスによる感染は、いったん収束するかに見えましたが、2020年5月25日の非常事態宣言解除後、7月から再び増えてきました。現在も感染の勢いが増しています。まだ有効な治療薬やワクチンがないため、新型コロナウイルスと共存する社会を目指して、三密を防ぐ方策が模索されています。
2020年4月に入社した新人たちは、職場の研修会が開催されず、在宅勤務を強いられ、仕事を覚える機会が少なくなりました。新人のときは誰もが不安なのに、さらに仕事を覚えられずに不安な状況になってしまいました。
そこで少しでも不安を和らげる材料になればと思い、私が新人時代に先輩たちから教わったことを参考に公開します。
私の若い頃(1979年)は、ハラスメントという言葉もない時代です。現在ではパワハラに該当することも多く含まれています。
昔と現在の新人教育の違い
昔(1979年)と現在(2020年)の、新人教育の違いを解説します。新人のときに、私が実際に先輩たちから教わっていたことと、自分が年齢を重ねて新人たちを教える立場になったときの比較です。昔と今の新人教育の違いです。
私は1979(昭和54)年に国家公務員試験に合格し、東京大学の事務職員になりました。当時の東京大学の事務部門は、新人を強く育てることに重点を置いてました。おそらく当時の人を強く育てるという考え方は、東京大学だけでなく、公務員すべて、いや日本社会すべての共通した認識でした。1986年からのバブル期へ突入する前です。社会全体が右肩上がりに堅実に成長し、人も金も余裕があった時代です。
組織では人が一番大切、精神的に強い人を育てることで、会社や社会が発展すると考えられていました。リストラはほとんどなく誰も考えていませんでした。この時代の人を育てるという概念は、厳しく育てることを意味します。忍耐強く先輩たちについていくための教育です。社会人は耐えて一人前、我慢こそが美徳という風潮でした。新人教育の中心は精神面を鍛えることでした。
これらのひたすら耐えるという新人教育の概念が崩れたのは、1989年頃にハラスメントという言葉が出現してからです。2020年現在は、新人に対する強い指導は、パワーハラスメントになり許されない社会になっています。2020年6月からはパワハラ防止法も施行されました。昔ながらの新人を鍛えるという考え方は通用しなくなっています。
自分の経験から感じることは、昔よりも、今の新人は仕事が覚えづらい環境になっています。しかし、その分プライベートがしっかり守られ生活がしやすい環境になっています。
新人の基本姿勢
私が新人時代に、先輩から教わったことは次のとおりです。
新人がやるべきこと
◯最初に、周りの人の名前を覚える
◯先輩たちよりも30分早く出勤し、先輩達全員の机の上を拭いておく
◯お茶入れを率先して行う
◯仕事を教えてもらう時には必ずノートとペンでメモする
◯先輩からの誘いは絶対に断らない(時間外やプライベートでも断らない)
これらの教えは、今ではパワハラになる部分もありますが、ひとつひとつに意味があります。しばらくしてから本当の意味を理解できるようになりました。
職場の人の名前を早く覚えると、仕事も早く覚えられる
人の名前を覚えるのは、得意な人と、得意でない人がいます。私は名前を覚えるのが苦手でした。学生時代から他人に対して興味がなかったのが原因です。もともと人付き合いが苦手なので、積極的に名前を覚えようとしていなかったのです。
新人として配属されたときは、最初に周りの人の名前を覚えることが重要です。名前を覚えることで、わからないことを聞き易くなります。座席表などがあれば、時間があるときに、座席表を見ながら顔を確認します。名前を覚える方法は繰り返し努力するしかありません。顔を思い出しながら、心の中で名前を呼ぶのです。
新人のときには気付きませんでしたが、年齢を重ねてくると、新人から名前で呼ばれることがとても心地良いのです。◯◯さん、と名前で呼ばれれば、上司や先輩の立場からすると、丁寧に教えてあげようと思います。
逆に名前を間違えたり、あのー、などと呼びかけてくるような新人に対しては、言葉にこそ出しませんが何て無礼な奴、失礼な奴と感じるものです。何日か経っても名前を覚えないような新人に対しては、何かわからなくて困っていても、教えてあげようと思わなくなります。潤滑なコミュニケーションのためにも、仕事を早く覚えるためにも、周りの人たちの名前を早く覚えることが重要なのです。
先輩や上司に対して敬語を使うことはもちろん必要ですが、名前で呼ぶことも大切です。〇〇さん、お忙しいところすみません、教えて下さい、と尋ねましょう。そして教えてもらうときは、自分の直属の先輩にあたる人へ最初に聞きます。先輩を飛び越えて、いきなり上司へ聞くのは、先輩に対して失礼になります。自分のすぐ上の先輩へ聞くのが礼儀です。
先輩たちよりも30分早く出勤すると仕事が見えてくる
今はパワハラに該当するかもしれません。いわゆるサービス残業のように理解されてしまうでしょう。しかし私にとっては、勉強になったことなので解説します。
私が初めて就職した東京大学農学部では、事務長から辞令を受けた当日に次のように指導されました。新人のとき(1979年)出勤初日のことです。(もちろん、にこにこと優しい笑顔で話してくれました。)
「私たちも、みんな経験してきたことですが、最初の1年間は、誰よりも早く30分前には出勤して、先輩たちの机の上を拭いてください。それが礼儀というものです。」
このように教わりました。最初に聞いたときは、内心、ひょえー!と驚きました。厳しい職場に入ってしまったと暗い気持ちになり後悔しました。1周間もつだろうかと不安になりました。
19歳の新人の頃、朝早く出勤するというのはかなりきつかったです。私は朝早く起きるのが苦手です。1分でも長くふとんの中で寝ていたいタイプです。朝の30分は、私にとって非常に大変なことなのです。それでも私は、事務長から言われたとおり、1年間は実践しました。
最初は、何でこんなことする必要があるのか、朝早く出勤しても誰もいないし、机の上を拭いたって仕事は覚えられない、仕事とは関係ないと疑問に思いました。不満だけがたまりました。
ところが 3ヶ月くらい経過すると、少しずつ自分の視野が広がっていくことに気付き始めました。朝出勤して、先輩たちの机の上を拭いているうちに、先輩たちが、今どのような仕事をしているか把握できるようになったのです。そして先輩や上司から指示を受けた時に、意図を十分に理解することができ、動きやすくなったのです。
朝早く先輩や上司の机を拭いていると、先輩たちの今作成している書類が自然に目に入ります。そうすると、今日、先輩たちが何をするつもりなのか、これからどういう書類を作成するのか、徐々にわかるようになってきたのです。仕事を覚えるのが効率的になっていったのです。
(ただ先輩の机をふくときは、書類の位置をずらしてはいけません。ちらかっているように見えても、書類の位置が決まっています。机をふくときは空いているスペースのほこりを払うだけです。)
しばらくして半年ぐらい経った頃、飲み会の席で先輩から次のように教わりました。
「おれたちの時代(1970年以前)は、朝早く出勤して、先輩たちの机を拭く時には仕事を盗むという気持ちだった。先輩たちは仕事を教えてくれないので、盗んで覚えるしかなかった。仕事は自分で覚えるしかなかったんだ。」
そして当時は、コピーを取るように指示された時には、勉強になりそうな資料があれば、部数を一部余分にコピーして自分の勉強用にしていたそうです。最初はガリ版だったらしいですが。仕事を盗むほど貪欲に勉強し、いろいろな情報を入手していたそうです。1970年当時は、もちろんインターネットもパソコンもない時代です。情報を簡単に入手できない時代でした。
お茶入れを率先して行うと会話ができる
2020年7月現在は、お茶入れを命令するとパワハラになります。特に女性に対してお茶入れを指示すると、男女差別にもなってしまいます。しかし私が新人として働いていた頃は、新人あるいは、その係内で一番若い人が、お茶入れ当番でした。新人が入るまでの期間、ずっとお茶入れ当番です。人事異動の少ない係では5年くらいお茶入れしている人も多かったです。他の官公庁では、女性がお茶入れしているところもありましたが、私が勤めていた東京大学では、若い人がお茶入れをするのが慣例でした。男女平等という考えが早くから浸透していたのかもしれません。(職場内では女性の意見の方が強いイメージだったです。)
お茶入れで大変だったのは、まず湯吞茶碗を覚えることでした。湯呑み茶碗の色や形が特徴的であれば、すぐに覚えられるのですが、似ている茶碗だと覚えられません。物覚えの悪い私は、湯呑み茶碗の底へこっそりとボールペンで印をつけていました。
お茶入れはコミュニケーションのツールです。朝、みんなが出勤してきた時にタイミングを見計らってお茶を出します。すると必ず世間話をします。先輩たちがいろいろな話題で話しかけてくれます。テレビ番組やスポーツの話、通勤時の面白い話など、いろいろなことを数分だけ会話します。当時は朝早くから先輩や上司と話をするのは、うざいし面倒と思っていました。しかし、いつも先輩たちから声をかけてもらうと、声をかけやすい後輩、声をかけやすい新人になります。気軽に話しかけてくれると、質問もしやすくなるのです。仕事だけでなく、プライベートも含めてさまざまな場面で教えてもらうことができるようになります。
特に仕事中は、常に先輩たちが見てくれるようになります。悩み事や、少しでも不安なことがあれば、あれ、元気ないな?どうした?と気軽に声をかけてくれます。周りの先輩たちが、常に気にしてくれるのです。電話などで間違ったことを言おうとしたり、失敗しそうなときもすぐに先輩たちがカバーしてくれます。そして会話も鍛えられてきます。いろいろな人と会話ができるようになるのです。
お茶入れは大変ですが、先輩たちがいつも近くにいるので、悩みごとや心配ごとが少なくなります。これがお茶入れのメリットです。たしかに仕事とは関係ないですが、お茶入れで得るものは大きいです。
2020年現在は、職場の中で若い人がお茶入れをする習慣が、ほぼなくなりました。先輩や上司の考え方に触れる機会が減り、新人たちの悩みや不安が増えているのではないかと思います。
ノートとペンでメモする、スマホではダメ
仕事を教わるときは、必ず、ノートでメモを取ります。ノートは、コンパクトな手帳型でも、大きなA4サイズでも構いません。教わったことをメモする姿勢は、教える人に対する礼儀です。
現在2020年7月は、スマホやノートパソコン、ICレコーダーでもメモが取れます。しかし新人のときは、紙のノート以外は使うべきではありません。新人がスマホなどでメモを取る行為は、教える人から見ると、ふざけている、バカにしていると映ります。楽をしていると思われてしまうのです。本人は効率的に仕事をしているつもりでも、先輩から見れば、ふざけた態度に見えてしまいます。
先輩や上司に教えてもらいメモするときに注意したい点は、話している先輩の腰を折らないことです。わかりやすく教えようとして順序を考えながら話しているときに、余計な質問でリズムを止められてしまうと、話したいことも話せなくなってしまいます。次に何を説明しようとしたか忘れてしまうのです。
また話を聞くときは相手の目を見ます。スマホなどでメモされると、スマホばかり見ていて視線が合わず、無視されているようにさえ感じてしまいます。メモを取るときは、ときどき相手の目をしっかり見ることが大切です。
スマホやノートパソコンを使ってメモをとるのは、最低でも2年目以降です。ある程度ベテランになってからは許される行為です。しかし新人時代は、先輩に対して失礼になるのでやめましょう。
先輩からの誘いは絶対に断らない
2020年7月現在、先輩からの誘いは絶対に断らない、という教えは、完全にハラスメントになります。ここでは、あくまで参考として解説します。令和では通用しない昭和の教えです。昔の耐えることが美しい時代の教えです。
私が社会人になった1979年は、まだ気合いで仕事をするという時代でした。先輩や上司についていくという従順な姿勢が求められていました。特に最初の1年間は、自分にはプライベートはないと思わないと、辛くてやっていけないと教えられました。24時間365日すべてが社会勉強で、耐えることで自分を鍛えるしかない時代です。今考えると暗黒時代だったです。でも辛いほど、逆に大きなメリットもありました。プライベートがない分、先輩になんでも相談できたわけですから。
先輩や上司は、新人を鍛えよう、育てようと考えていました。仕事中はもちろんのこと、勤務時間が終わった後も、公私にわたり様々な話をしてくれました。
昔は、職場の中で野球をするのが一般的でした。私が勤務していた東京大学の事務部門でも、学部ごとに野球チームがありました。学内では野球大会もありました。いわゆる職場野球です。仕事以外でもスポーツを行い協調性やチームワークを大事にする時代でした。官公庁だけでなく民間企業でも野球が盛んでした。民間企業の野球チームとも良く練習試合を行いました。
正式な野球の試合は、週末の土曜日か日曜日に開催されます。平日は昼休みに野球の練習を行い、月に1回程度、出勤前の朝練と、勤務時間終了後に1時間ほど練習試合を行なっていました。
私は学生時代からスポーツが大好きでした。職場野球に参加することも、それほどイヤではありませんでした。むしろ野球は好きな方でした。しかし週末の土日が試合のために奪われてしまうことに、かなり抵抗感がありました。仕事とは違うとはいえ、週末の土日まで先輩や上司と一緒にいると、やはり常に緊張してしまい身体が十分に休まらないのです。
また野球以外でも、毎日、お酒を飲むのが社会人としての常識でした。5時半に勤務が終わり、職場の中で夜8時ぐらいまで乾き物でビールや焼酎、ウイスキーを飲みます。その後2次会で居酒屋へ出かけ終電まで飲みます。これがほぼ毎日続きました。
しかし新人のときは、飲み代は必要ありませんでした。上司や先輩たちが必ず奢ってくれるので、自分でお金を出すことはありません。経済的な負担は皆無です。むしろ夕食代が助かるので、経済的には良かったです。しかし毎日の飲み会です。この付き合いにはかなり悩みました。
週末の職場野球と同じように、平日もゆっくり休めないのです。終電で家に帰った後は、もうバタンキューで寝るだけです。自分の時間は全くありません。こんな生活が今後40年間も続くのかと思うと、辞めたいという気持ちにもなりました。実際に何度も、退職願いを書こうと思いました。
当時はわかりませんでしたが、後になって考えると、上司や先輩たちは、新人のことを気にかけて誘ってくれています。新人を鍛えよう、社会人として強くしようとして誘っていたのです。
勤務時間が終わった後の飲み会では、仕事の話はほとんどありません。それぞれの趣味の話や、職場の噂などです。楽しい話ばかりで大笑いしながら飲むことが多かったです。付き合いは大変ですが、実際に楽しいのも事実でした。また昔の上司はよく自宅にも招いてくれました。職場で飲んで、近くの居酒屋で飲んで、さらにその後に上司たちの家で飲むこともありました。
本当は一人で食事をして、一人でゆっくり寝たいわけです。しかしそんな贅沢は一切許されませんでした。先輩についていく、先輩や上司から誘われれば絶対に断らないという教えは、当時、誰もが守っていました。どんなに仕事が忙しくても、飲みに誘われればついていくのが礼儀でした。身内に不幸があったときを除き、先輩や上司からの誘いを断るような人は誰もいませんでした。
その分、先輩や上司たちは部下を大切にしていたように思います。仕事面でもプライベート面でも、悩みを早い段階で気付き、不安やストレスが溜まっていそうであれば、飲みに連れて行ってくれたり、遊びに連れて行ってくれました。現在と比較すると、信じられないほど付き合いが濃かったです。1979年当時は、先輩たちについていくのに一生懸命で、うつ病になる人はいなかったです。そんな余裕すらありませんでした。考える時間さえないわけですから。
新人のときは付き合いが大変で、はっきり言って嫌でした。辛かった思い出の方が多いです。しかし当時感じていたのは、先輩たちも同じように苦労してきたことでした。同じように鍛えられ、その道こそが社会人として正しいのです。
現在は完全にハラスメントですが、今思うと懐かしいです。昔と同じようにとまでは言いませんが、少なくとも仕事面においては、ハラスメントという言葉を無くしたほうがいいと思います。厳しい指導も良い面があるのですから。
職場でハラスメントが問題になるのは、ほとんどが人間関係です。自分の周りに仲の良い同僚がいれば、どんなに辛い仕事でも、楽しい仕事へ変えられます。辛さを共有できる人間関係があれば、精神的な強さを補強できるのです。そういった意味では、昔のしつこいぐらいの人間関係は、強い精神を育むために効果があったのかもしれません。
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