2025年11月、東京大学医学部附属病院の整形外科医師による収賄逮捕劇は、医療界のみならず社会全体に大きな衝撃を与えました。インプラント選定の見返りに賄賂を受け取り、公的な「奨学寄付金」を私物化していたとされるこの事件。まだ裁判の判決はわかりませんが、連日の報道では、「寄付金制度の闇」や「大学側のチェック体制の甘さ」が糾弾され、事務手続きの厳格化を求める声が上がっています。
しかし、長年官公庁の契約実務に携わってきた筆者から見れば、その議論は問題の本質を完全に見誤っています。断言しますが、いくら会計上の審査を厳しくしても、この種の不正は絶対に防げません。なぜなら、事務職員には医学的判断の妥当性を審査する権限も能力もなく、書類の形式さえ整っていれば、不正な動機による寄付も通過してしまうからです。
本記事では、マスコミが報じる表面的な「マネーロンダリング説」に異を唱え、事件の真の温床である「医療機器選定のブラックボックス」にメスを入れます。組織ガバナンスの視点から医師の「聖域」に切り込み、再発防止のために本当に必要な改革とは何かを具体的に提言します。
報道のミスリード:「奨学寄付金の悪用」は問題の本質ではない
マスコミが報じる「マネーロンダリング」説の違和感
今回の事件を受けて、多くのメディアは「奨学寄付金」という制度自体を悪者として扱っています。「企業から大学への寄付という正規のルートを通すことで、賄賂であることを隠蔽するマネーロンダリング(資金洗浄)が行われた」という論調です。確かに、形式上はそのように見えますし、過去に三重大学医学部で起きた贈収賄事件(第三者供賄)でも同様のスキームが悪用されたことは事実です。
しかし、だからといって「奨学寄付金は廃止すべきだ」「企業からの寄付はすべて悪だ」という極端な結論に飛びつくのは危険すぎます。なぜなら、奨学寄付金は、税金である運営交付金や科学研究費(科研費)だけでは到底賄いきれない、研究現場の細かなニーズを支える生命線だからです。
大学病院の現場では、若手医師が学会で発表するための渡航費や、実験に使う試薬代、あるいは医学書を購入する費用など、公的な予算だけではカバーしきれない出費が山のようにあります。これらを補填し、医学研究や教育を円滑に進めるために、企業や個人からの寄付金は不可欠な存在なのです。実際に、全国の大学病院において、奨学寄付金制度は厳格なルールの下で運用されており、99%以上のケースでは、適正かつ健全に使用されています。
今回の事件で問題視すべきは、寄付金制度そのものではなく、その寄付金が「見返り」として機能してしまった点、つまり「紐付き」の寄付であったという点にあります。制度自体を悪者にして規制を強化すれば、真面目に研究に励む多くの医師たちの活動資金を枯渇させ、日本の医療レベルの低下を招くという「角を矯めて牛を殺す」結果になりかねません。

会計上のチェック機能強化だけでは不正は防げない
メディアのもう一つの誤解は、「大学側の受け入れ審査や会計チェックがザルだったから事件が起きた」という指摘です。「なぜ事務職員は不正を見抜けなかったのか」という批判が事務局に向けられていますが、これは現場の実務を知らない外野の意見に過ぎません。
断言しますが、会計担当者が書類上のチェックだけで、今回のような贈収賄を見抜くことは不可能です。どれほど会計制度を厳格にしても贈収賄は続くでしょう。
大学の会計担当者がチェックできるのは、あくまで「会計法令に基づく形式的な整合性」です。「寄付申込書に不備はないか」「寄付の趣旨が公序良俗に反していないか」「請求書と納品書の内容は合致しているか」といった点は確認できます。しかし、その寄付金の裏に「インプラントを優先的に使用する」という密約があるかどうかなど、書類のどこを見ても書いてありません。
仮に、事務職員が「このメーカーからの寄付は、(医療機器購入の急激な増加などから)時期的に怪しいのではないでしょうか?」と疑問を持ったとしても、それを証明する手立てはありません。寄付をする企業側も、「医学の発展のため」というもっともらしい名目を掲げて寄付を申し出てきます。会計のプロであっても、人の心の中にある「下心」までは審査できないのです。
したがって、再発防止策として「事務職員による、寄付金の受け入れ手続きを厳格化する」「事務手続きのステップを増やす」といった対策を講じても、それは事務作業の手間を増やすだけで、根本的な解決にはなりません。お金の入り口のチェックをいくら厳しくしても、当事者同士が結託して裏で握っていれば、書類上は完璧な「綺麗な寄付」として通過してしまうからです。私たちは、会計制度という経理面の「出口」ではなく、もっと手前の医療機器選定の「入り口」、すなわち医師と企業の癒着が生まれる構造そのものに目を向ける必要があります。
事件の真因は「医療機器選定」におけるブラックボックス化にある
「患者のため」という聖域が不正の隠れ蓑になるメカニズム
今回の事件の核心は、奨学寄付金ではなく、高額な医療機器を選定する権限が、特定の医師(今回の場合は整形外科の准教授)に集中しすぎていた点にあります。ここに、医療現場特有の「聖域」の問題が存在します。
医療の世界では、「クリニカル・ジャッジメント(臨床的判断)」が絶対視されます。医師が「この患者の手術を成功させるためには、A社のインプラントでなければならない。B社の製品では形状が合わず、リスクが高い」と主張した場合、事務職員や他の医師がそれに異を唱えることは極めて困難です。
本来、医療機器の選定は、性能、価格、安全性、保守体制などを総合的に評価して行われるべきです。しかし、実際の手術現場でメスを握る執刀医が「使い慣れたこの器具でないと、手術の質が落ちる」と言えば、それがどんなに高額であっても、あるいは特定のメーカーに偏っていたとしても、病院側は購入せざるを得ません。
この「患者のため」という大義名分こそが、不正の隠れ蓑になります。逮捕された医師は、この絶対的な権限を悪用し、「俺が製品を指定し続ければ、大学に寄付金が入り、自分もマージンを受け取れる」というスキームを構築しました。周囲も「先生がそう言うなら、それが医学的に正しいのだろう」と追認せざるを得ない空気が、長年にわたって醸成されていたと考えられます。
つまり、今回の事件の本質は、会計処理のミスではなく、医療機器を選定するプロセスにおいて、客観的な評価や他者の介入を許さない「独裁的な権限」が放置されていたことにあるのです。
選定プロセスにおける「独裁」と審査機能の不在
多くの病院には、形式的には「医療機器選定委員会」などの審査組織が存在します。しかし、実態はどうでしょうか。多くの場合、これらの委員会は、現場の医師から上がってきた購入申請をそのまま承認するだけの「シャンシャン総会(儀式的な会議)」と化しています。
専門性の高い医療機器について、専門外の委員が「本当にこのメーカーでなければダメなのか?」「他社製品との比較検討は十分か?」と鋭く突っ込むことは稀です。資料には、もっともらしい「選定理由書」が添付されていますが、そこには「当科の手術手技に最適であるため」といった抽象的な文言が並ぶだけです。これでは、審査機能が働いているとは言えません。
特定の医師が、自分と癒着のあるメーカーの製品を選びたい放題の状態にあること。そして、その選定プロセスが密室で行われ、第三者が検証できない「ブラックボックス」になっていること。これこそが、収賄を生む真の温床であり、ここを改善しない限り、どんなに寄付金などの会計制度のルールを厳しくしても、形を変えて不正は繰り返されるでしょう。例えば、寄付金ではなく、高額な飲食接待や、講演料名目での現金授受など、抜け道はいくらでも存在するからです。
事務職員による監視の限界と「形だけの防止策」の無意味さ
事務職員が医師の専門的判断を審査することは不可能
事件が起きるたびに、再発防止策として「事務部門の牽制機能を強化する」という案が出されます。しかし、はっきり言えば、これはナンセンスです。事務職員に、医師の専門的判断を審査する能力も権限もないからです。
想像してみてください。病院の契約担当の事務職員が、整形外科の准教授に向かって、「先生、今回申請されたA社のインプラントですが、他社製品より割高です。本当にこれが必要なんですか? 癒着があるんじゃないですか?」と面と向かって聞けるでしょうか。
答えは「NO」です。病院という組織において、医師(特に教授、准教授クラス)と事務職員の間には、厳然たるヒエラルキーが存在します。医師は収益を生み出す「稼ぎ頭」であり、事務職員はそのサポート役という意識が根強くあります。また、医学的な専門知識の差は圧倒的です。「この患者の骨の形状は特殊で、この製品のこのカーブが必要なんだ。君に責任が取れるのか?」と専門用語でまくし立てられれば、事務職員は引き下がるしかありません。
事務職員が事件を起こしたのであれば、事務組織のルールで縛るのは有効です。しかし、今回は医師が主導した事件です。医師の倫理観や権限行使の問題を、事務方のチェックで解決しようとするのは、そもそもボタンの掛け違えなのです。

現場を疲弊させる「形だけのルール」の弊害
さらに懸念されるのは、実効性のない「やったふり」の防止策が導入されることです。よくあるのが、「選定理由書の文字数を増やす、比較対象を増やす」「申請書類への決裁印を3人分増やす」「関係業者との面会記録を毎日提出させる」といった対策です。
これらは、真面目に働いている99%の医師や職員にとっては、ただの業務妨害でしかありません。診療や研究で多忙を極める医師たちに、膨大な書類作成を強要すれば、医療の質が低下し、最終的には患者へのサービス低下につながります。
一方で、不正を働くような悪意ある人間は、書類の体裁を整えることなど造作もありません。彼らは、どんなに書類が面倒になっても、裏で得られる利益が大きければ、涼しい顔で「完璧な書類」を作って提出します。結果として、現場は疲弊し、不正は防げないという最悪の結末を招きます。
「何か対策を講じました」という組織のアリバイ作りのために、現場に負担を押し付けるだけの形式的なルール変更は、百害あって一利なしであることを、私たちは強く認識すべきです。
医師主導による実効性のあるガバナンス改革と再発防止策
同職種・上位役職者による「相互監視」と選定の透明化
では、どうすればこの構造的な問題を解決できるのでしょうか。答えはシンプルです。医師の暴走を止められるのは、同じ専門知識を持つ医師だけです。
具体的な解決策として提案したいのが、医療機器選定プロセスの「透明化」と「ピアレビュー(相互評価)の徹底」です。
まず、高額な医療機器の選定を、個人の裁量から完全に切り離す必要があります。特定の製品を採用する場合は、申請者一人で決めるのではなく、必ず複数の専門医で構成される「選定小委員会」での公開討論を義務付けるべきです。そこでは、申請者が「なぜこの製品なのか」を、エビデンス(医学的根拠)に基づいてプレゼンテーションし、他の医師が批判的に検証します。
重要なのは、この場に「利益相反(COI)の申告」を必須とすることです。「採用するメーカーから金銭を受け入れないこと」を誓約させた上で、さらに「製品の性能が優れている」と客観的なデータで証明できなければ、採用は認めないという厳しいルールを運用します。寄附金の受け入れ審査のデータは、教授会でも審査されているはずなので、すべての教授は寄附金の情報を持っています。(あるいは院内HPのWEB上で教授会資料を共有しても良いでしょう。)寄附金が賄賂と疑われるリスクがないかも確認します。
同じ専門家であれば、「そのデータは古い」「他社にも同等の製品でもっと安いものがある」といった反論が可能です。事務職員には見抜けない「医学的な嘘」も、同僚や先輩の医師なら見抜くことができます。この「プロフェッショナルによる相互監視」こそが、最も強力な抑止力となります。
指導・監督責任を持つ「上位者」の覚悟
そして、この仕組みを機能させるためには、組織の上位者である診療科長(教授)や病院長のリーダーシップが不可欠です。
今回の事件でも、逮捕された准教授の上には、教授や病院長がいたはずです。彼らは、部下の不自然な行動や、特定の業者との過度な親密さに気づく機会はなかったのでしょうか。もし、「現場のことは現場に任せている」と見て見ぬふりをしていたのであれば、それは管理監督者としての怠慢です。
再発防止策の実効性を担保するのは、ルールの細かさではなく、運用する人間の「覚悟」です。上位の医師が、「疑わしい選定は絶対に許さない」「不正があれば身内でも厳正に処分する」という強い姿勢を示し、日常的に部下を指導・監督する必要があります。
具体的には、定期的に選定履歴や外部資金の受入れ状況をモニタリングし、「なぜA社の製品ばかり使っているのか」と問い質す面談を行うことや、業者と医師の接触ルールを医局内で徹底させることが求められます。指導やチェックは、権限の強い上位の者が実施しなければ効果がありません。医師組織内部でのガバナンス(統治)を強化し、自浄作用を働かせることこそが、失墜した信頼を回復する唯一の道です。
おわりに:信頼される医療現場を取り戻すために
2025年11月に発覚した東大病院医師による収賄事件は、私たちに重い課題を突きつけました。しかし、この事件を「個人の犯罪」として片付けたり、あるいは「奨学寄付金制度の欠陥」として矮小化したりしてはなりません。
問題の本質は、医療の高度な専門性が生み出す「情報の非対称性」と、それを悪用した「選定権限のブラックボックス化」にあります。ここを是正しない限り、どんなに高尚な倫理規定を作っても、不正の根は断たれません。
今求められているのは、事務的な手続きの強化ではなく、医療のプロフェッショナルたちが互いに規律を守り合う、真に透明性の高い組織づくりです。医師自身が「患者のための最善の選択」と「私利私欲」を厳格に峻別し、そのプロセスを堂々と公開できる体制を整えること。それこそが、医療への信頼を取り戻すための第一歩となるはずです。
私たちは、この事件を教訓に、会計制度を厳しく運用するような、形だけの改革ではなく、実効性のあるガバナンス改革へと舵を切らなければなりません。それは決して容易な道のりではありませんが、日本の医療の未来を守るために、避けては通れない道なのです。

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